時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●高輪・御殿山周辺散策

JR、京浜急行品川駅高輪口。余計なことですが、ここの町名は、品川区・高輪、で品川ではありません。
高輪口から道路を渡って左に行くとすぐに高山稲荷神社があります。

品川駅前高山稲荷神社P1060067 (470x640)

品川駅前高山稲荷神社P1060068 (640x479)

高山神社 高い所の縄手から高輪の地名P1060069 (640x480)

同社にある隠れキリシタン像P1060070 (480x640)    ← 隠れキリシタンの像とか云われているとか。…

神社の由緒は、「猫のあしあと」に次のように書かれています。

創立年月不詳。伝えによれば五白有余年以前、往昔は丘の上にあったのを(『江戸名所図会』所載)、ゆえあって現在の地に移した。当時神社の前面は海辺で房総方面よりくる舟の目標となっていた。永く高輪南町・下高輪町の鎮守の神として崇敬を集めた。現在の社殿その他は、昭和六年氏子崇敬者の浄財によって造営せられた。(東京都神社名鑑より)

稲荷神社 高輪南町
祭神 宇迦御魂命。
往昔、有馬邸(現在毛利公邸)の東北丘上にあつたので、高山稲荷とも稱した。明治初年毛利家より替地の寄進があつて、現在地に遷つた。昭和六年社殿を改築した。(「芝區誌」より)

高輪の地名のいわれは、

戦国時代の軍記物語の中に「高縄原」として書かれていることに由来する。高縄とは高縄手道の略語であり、高台にあるまっすぐな道を意味している。ちょうど丘陵の中心部を南北に走る二本榎通りが、あたかも高いところに張った縄のようであったからと伝えられる。と、ウィキペディアにあります。

稲荷神社の前を進むと塀が続き、三菱関東閣と書かれた門の前に出ます。旧岩崎家の高輪別邸で現在は、同グループのクラブとして使われています。表からは建物が見えないようになっていて秘密の世界のようです。

大きな十字路があり、それにつながる道路が三菱関東閣の前を走っています。その辺りが錦絵に描かれる八つ山があったところ。現在、御殿山とも云われる場所は、高輪台地の南端に位置する高台でしたが台場(砲台)設営のための「土砂」を得るために削られてしまいました。

その土木工事を描いた錦絵があります。

削られる御殿山P1060119 (640x472)

三菱関東閣を過ぎると交番があります。横断歩道を度り向う側へ行くと御殿への御成り道の入口です。
解説があります。

品川御殿の御成門の解説P1060072 (640x480)

江戸切絵図を見てみます。

御殿山・字入りIMG_20150809_0001 (640x539) - コピー

旧東海道と御殿山の位置関係が分かります。絵図には、櫻の名所と書かれています。

この地図で分かるように北品川、南品川とあります。
江戸時代初期から徳川家康が建立したと伝えられる御殿があり、そこから品川御殿、御殿山と云われています。

御殿とは、将軍が外に出たときに休息するために建てた建物をいい、歴代将軍鷹狩の休息所として、また幕府重臣を招いての茶会の場として利用されていましたが、元禄15年(1702)2月11日四ッ谷太宗寺付近の出火で麻布御殿ともに焼失、8月14日に廃止された。寛文(1661-73)の頃から桜が移植され、文政7年(1824)の宿差出明細帳写(品川町史)によると御殿山の面積は11500坪で600本に及ぶ桜の名所として整備されたのだといいます。

幕末期には、国防のための台場建設用上砂採取場となり、山の北側がえぐられ窪地となつたことは前述の通りです。
明治期には、鉄道敷設のために東西に分断され現在の形になっているのだといいます。
このことは、三菱関東閣の前辺りから、めいっぱい広がる十字路の地形を眺めるとよく分かります。

先に示した工事を示す錦絵を上に行くと、三菱関東閣の前へ。この絵を横方向に、鉄道敷設のために東西に分断されたものと思えばよいでしょう。

開国後の文久元年(1861)、幕府は英国をはじめ諸外国の公使館を御殿山に建設することを計画していましたが、翌年12月12日、完成間近の英国公使館を高杉晋作・志道聞多(井上馨)・伊藤俊輔(伊藤博文)ら尊皇攘夷派13名が襲撃し全焼、という英国公使館焼き討ち事件がおこりました。

現在、この御成り道に原美術館があります。

原美術館入口P1060074 (480x640)

上の写真が門前。門の中に入ると、↓ アカンサスの花が咲いていました。

アカンサスP1060076 (640x480)

この花の葉は、デザイン化されて、西洋館の室内装飾のモチーフとして使われています。また日本の紙幣などにも使われているお馴染みデザインです。

原美術館を通りすぎると塀の行きあたります。左へ曲りますが、少し行くと橋があり、ここで思いがけないものにであいました。

御殿山川 (640x480)

更に下りますと国道1号線、それを渡ると旧東海道。台場道を行くと海になりますが、御殿山下台場(砲台)跡がありました。

御殿山下台場P1060097 (480x640)

燈台が建っていますが、これは、場所を示す目印で石積みが一部、発掘された台場跡です。解説がありました。それには

御殿山下台場解説P1060098 (640x476)

ぐるりと御殿山をめぐってきました。

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