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時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●板垣退助の墓所

著名人の墓所の続編として板垣退助の墓所

・板垣退助の墓所は同ご夫妻のの墓所として、東京都品川区北品川3丁目、品川区指定文化財として、品川神社社域の外の一隅にある。

退助とは?

何よりも、「板垣死すとも自由は死せず」を知らない人はいないでしょう。

板垣退助は天保8年1837土佐国(高知県)中島町生まれ。旧姓は乾、名は正形、土佐藩士で幕末、王政復古運動に加わり、慶応四年1868奥州征伐の時の官軍参謀。

明治維新後は新政府の参議、明治六年1873征韓論を唱えて辞職。下野して民選議院の設立運動に専念、明治14年1881国会開設後は自由党を創立して総理となる。伯爵に叙せられ各地遊説中、明治14年1881岐阜で相原尚娶に刺されるも一命は助かる。

大正8年1919病にて没している。

墓は夫人に墓と二基並んでいる。

ご夫妻が並んでいる

りさいず30 板垣退助の墓・品川神社境外 (2)


りさいず30 板垣退助の墓碑側面と裏P1060557 (2)

りさいず30 墓碑側面P1060559

墓域全景

りさいず30 板垣退助墓域全景 (2)


乾家

りさいず30 乾庄右衛門P1060560 (2)

佐藤栄作の筆による「板垣死すとも自由は死せず」の碑が建つ。

りさいず30 板垣死すともの碑P1060555 (2)

りさいず30 板垣退助墓の解説P1060556 (2)


板垣退助は遺言により、東海寺塔頭高源院に葬られたが、後に高源院が現世田谷区北烏山に移転する際、現在の地に残された。

高源院のあった場所は城南中学校となっており、品川神社境内からしか墓所に入ることは出来ない。



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