時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●栃木市に残る「日光例幣使」道の痕跡

れいへいし【例幣使】とは?

世界大百科事典 第2版の解説

朝廷より毎年,神社に幣帛を奉るため遣わされる祭使のこと。とくに,伊勢神宮神嘗祭の奉幣を例幣といい,毎年9月11日をもって発遣される奉幣使をさして,伊勢例幣使と称した。例幣使は五位以上の諸王のなかから占いをもって定め,これに神祇官の中臣,忌部,卜部が従い,これを四姓幣使とも称した。応仁年間(1467‐69)中絶したが,1647年(正保4)に復活し,明治維新まで続いた。また,


江戸時代,日光東照宮の例大祭に朝廷から遣わされた祭使を日光例幣使といった

とあります。

日光東照宮では4月15日から家康の命日である17日まで行われる大祭に間に合わせるため4月1日京都を出発。
草津宿から中山道に進路をとり、木曾路、信濃路を経て碓氷峠を越えて上州へ。
中山道・倉賀野宿から例幣使街道に入り、日光西街道、日光街道を経て4月15日に日光到着。

という。

栃木市内の現在の道路で云えば、

①宇都宮市上戸祭町を起点に終点は、栃木市万町、万町交番前交差点。

②終点の栃木市市街地(万町交番前交差点)から国道293号と合流する小倉橋まで。小倉橋から栃木市までの区間が、日光例幣使街道の一部。


散策マップIMG_20151208_0001 (442x640)

散策マップの上の方に、②例幣使街道と書かれています。この交差点が万町交番前交差点。

ここに、

万町交番交差点にある例幣使街道入口P1060284 (640x479)

伝統的建造物選定地区の解説P1060285 (479x640)

嘉右衛門町入口矢印P1060288 (640x478)

日光例幣使街道矢印P1060290 (640x464)

この→に沿って行くと一番初めに、登録有形文化財になっている洋館

登録有形文化財P1060289 (640x472)

バス停・伝統地区入口

バス停・伝統地区入口P1060293 (640x465)

S字型に、喰い違いになっている道路、宿場の入口などにある枡形いわれるその一種でしょう。

曲っている道路P1060295 (640x479)

2階建ての民家、天海家

天海家・2階建ての民家P1060296 (640x478)

火消の記念館あり

火消し館P1060297 (640x472)

中を覗いてみます

火消し館内部P1060299 (640x480)

岡田嘉衛門家の由緒

岡田嘉衛門家由緒P1060300 (640x471)

岡田嘉衛門家、記念館になっています

岡田嘉衛門家門P1060301 (640x480)

その塀沿いに畠山陣屋跡の碑が建っています

畠山陣屋跡の碑P1060303 (458x640)

平沢商事外観

平沢商事P1060304 (640x479)

平沢商事の土間には、古い看板などが懸けたままになっています

平沢商事土間P1060306 (640x474)

神明社

神明神社P1060305 (640x478)


この辺りで「倭町」の町名を見たような気がしますが、はっきりしません。


「とちぎ秋まつり」は、豪華な山車まつりとして賑わいますが、そのはじまりは明治7年(1874)県庁構内で行われた神式祭典の時、倭町3丁目が東京日本橋の町内が所有する山王祭出御の静御前の山車を購入し、泉町が宇都宮から買い求めた諌鼓鶏を賑やかに参加させたのが始まり、と山車会館のチラシにあります。倭町は、力のあった町だったのでしょう。この辺りがその町だったのでしょうか。追って確認してみましょう。

日光例幣使街道のほんの一部を歩いてきました。

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