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時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●芝居のお染久松から…風邪除けには「久松るす」。「はしか除け」は、?

只今、インフルエンザの流行期に入ったとのニュースが流れていますね。
今はなにかと対策がとれますが、昔、病気は生死にかかわる重大事。風邪など引いたら大変。それも流行り風邪となったら!何とかして欲しいと、藁をもすがる思いで、心休めの「風邪除け」をして、流行の通り過ぎるのを待っていたようです。

江東区清澄にある、「深川江戸資料館」に、江戸の民家の様子が再現されていて、そこで半紙に書かれた「久松るす」という紙が軒先に貼られていました。風邪除けのおまじないですね。数年前に見たものでそのまま今も見られるかどうか分かりませんので、また、館内は撮影禁止だったと思いますので、webを探したところ、見つかりました。

  クリナップ/江戸散策/第23回 <検索>  

  「久松るす」はまだ貼ってあるか? <検索>

ところでこの「久松るす」がなぜ、風邪除けなのか?

野崎まいり」という歌にもなっている「お染久松」の話があります。というより歌舞伎の「野崎参り」という人気狂言からきており、昔のひとはよく知っている物語ですね


その話とは、

正徳元年(1711)大晦日、大坂瓦屋橋の質屋油屋で心中があり事件は表沙汰に。丁稚奉公に来たいた久松(14)が、その家の娘お染(16)といい仲になる。だが久松には婚約者があり、お染も同業山家屋へ嫁入りする身。仲を裂かれて久松が実家へ帰るとお染があとを追ってきて三角関係が爆発して心中という事に。この事件をもとに作られた芝居は寛政4年(1792)初演です

この話しが、鶴屋南北の筆により、江戸に移され、、文化10年(1811)5世半四郎によって初森田座で演されたのが、「於染久松色読販(おそめひさまつ うきなの よみうり)」。

来年(平成23年)市川染五郎・市川亀治郎らにより「二月花形歌舞伎」、として、ル テアトル銀座で上演される。今なお、人気狂言のひとつです

久松るす」とは、風邪をお染に見立て、久松は留守だから帰ってくれという訳なのでしょう。

松竹の新喜劇で藤山寛美が「お染風邪久松留守」という演目を舞台にかけましたね。また、映画1「武士の一分」では、その貼り紙が画面に登場しているそうです。


り800はしか001

はしか除け」ですがこれは、写真を見てください。「麻疹養生伝(はしかようじょうでん)」と云うもので、写真では右端の三文字がそれで、これを書いておけば、きわめてかろし、西国にては昔よりこの符によりてこれをまぬがれ、または軽く済むと云々。そのあと「日本書紀」を持ちだしたり、ある書に、疱瘡は聖武天皇天平七年はじめて流行し、麻疹は同九年にはじめてはやる。等々と続きます。

この三文字、読みようが分かりませんが、分かる人は、読み方教えてください。

「はしかのまじないたらやうの葉」という歌川芳艶描く錦絵では、この字でなく、草の束をふりあげている絵が描かれていますのでこの三文字とは、別のもののようですが…読み切れませんがいろいろと別にもあったのでしょう?
なお「たらやうの葉」はハガキの語源の「多羅葉」のことです。

り・640錦絵

文久2年(1861)4月ごろ西国すじからきた旅僧が江戸へ麻疹ををもたらして江戸で大流行、パニックになったといいます。その時、麻疹の流行で儲けた当り方は「やくしゅや(薬種屋)」、外れ方「女郎や」、「げいしゃ(芸者)」などと番付にしたもので、中段2行目に「こんどのはしかはのがれない しかしいのちべつぜうない」とも書かれています

風邪ならば葛根湯くらいのものしかなかったでしょうし、麻疹には予防接種などもなかった時代であれば、おまじないもひとつの解決策であったのでしょう。

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