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時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●澤潟屋一門の追善と襲名興行で賑わう新橋演舞場

6月の新橋演舞場は、

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福山雅治よりと大書された祝幕が舞台を飾ります。

初代市川猿翁、三代目市川段四郎の五十回忌追善
二代目市川猿翁(猿之助改め)
四二代目市川猿之助(甥の市川亀治郎改め)
九代目市川中車(猿之助と浜木綿子の長男香川照之)
五代目市川團子(香川照之の長男)
の襲名披露公演で、澤潟屋一門総出演。

演目は、昼の部
小栗栖の長兵衛(おぐるすのちょうべえ)
口上
三代目猿之助四十八撰の内
義経千本桜・川連法眼館の場

夜の部は
スーパー歌舞伎
三代目猿之助四十八撰の内
ヤマトタケル

です。

口上を楽しみに昼の部へ行きました。十三日と出遅れておりましたが、なにか期待感あふれる雰囲気の会場を楽しんできました。

注目の市川中車は、昼の部、小来栖長兵衛で長兵衛役で出演。この演目は岡本綺堂が初代猿之助のために書き下ろしたもので、明智光秀が農夫に襲われ命を落としたという史実を背景として浅薄な人間の姿や大衆心理に風刺をこめて描いた新歌舞伎の名作と云われているものです。
簀巻きにされ川に投げられようとまで扱われて、蝮の長兵衛と嫌われていた人物が、明智光秀を竹槍で仕留めた事によって秀吉方から褒美をもらうという出来事によって、村人の態度は一変、英雄だと褒め称えます。竹槍を手に秀吉の陣のある京都へと向かうというところで幕になります。
中車になりきって楽しそうに演じていました。

ところで中車ですが、八代目中車は、二代目猿之助(初代猿翁)の弟。1896-1971年。1953(昭和28)年、八代目中車襲名で東宝歌舞伎で活躍していたと思います。顔の長いという記憶があります。映画などでもよく見かけましたが、劇の要所を押さえていたように思います。

口上は、片しゃ切りの御囃子が打ちあがり祝幕が上がります。

舞台に中央にいる坂田藤十郎が顔を上げて、挨拶をし始める。「五十年忌追善興行」のこと、初代猿翁の「おじさん」と三代目段四郎の「お兄さん」の思い出を述べる。

そして、その追善を機に二代目猿翁・四代目猿之助・九代目中車襲名披露・五代目團子初舞台と付け加える。途中、松竹株式会社から襲名の話がでてと文書を読み上げそれぞれの襲名を披露する。「いずれも様も、行く末永く、ご贔屓に」と口上の決まり文句で締めくくりました。

新猿之助らは、皆、茶色の肩衣袴姿で、鉞(まさかり)と呼ばれる髷。この髷は、市川宗家礼式の髷。三代目猿之助改め、二代目猿翁の姿がありません。あとで登場する仕掛けです。

口上の順は、
藤十郎・段四郎・門之助・寿猿・竹三郎・秀太郎・右近・猿彌・春猿・笑三郎・笑彌・團子・中車・

ここで、舞台中央の藤十郎が、顔を上げて「二代目猿翁が、控えているので呼ぶ」と告げると今まで飾ってあった初代猿翁や三代目段四郎の遺影が上がり、襖が開き、奥より一畳台に乗った新猿翁が、四代目猿之助と九代目中車の間に入り込んで来る。新猿翁は茶色の肩衣と袴、黒の紋付、鉞の髷。膝に両手を置いて正座しているが、左手は、麻痺しているように見える。以前とは違うような感じで、「猿翁でございます。隅から隅まで、ずず、ずいーと、乞い願い上げ奉りまする」と、聞き取りにくいが、まあ、判る?と挨拶。直ちに、藤十郎が「澤潟屋一門に増々のご支援を。いずれも様のご贔屓を隅から隅まで、ずず、ずいーと、乞い願い上げ奉りまする。

場内外の様子

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