時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

●品川県の名残りも。旧東海道を青物横丁まで歩く ガラス絵の扁額など

今の品川は、明治4年に東京府に編入されるまでは、品川県で会ったことを知っている人はあまりいないのではないでしょうか。

幕藩時代は、この地域は、幕府領でしたが、1868年(明治元年) 7月10日 、府藩県三治制の施行により、幕府領に武蔵知県事を設置し、武蔵国内の豊島郡・足立郡・埼玉郡の3郡、武蔵国内の荏原郡、武蔵国および下総国内の葛飾郡を中心に旧幕府領・旗本領などを管轄していたといいます。

新政府の支配が安定した1869年(明治2年)、管轄区域が正式な県となり、大宮県、品川県、小菅県が設置されましたが、範囲は、広範囲で、現在の東京都練馬区・杉並区・中野区・新宿区・渋谷区・目黒区・品川区・大田区・世田谷区および多摩地区の東部・南部、埼玉県の一部を管轄していたようです。

鎌倉の建長寺の奥に半像坊がありますが、この参道に、荏原郡のだれそれ奉納と書かれた石が沢山残っていますが武蔵国の荏原郡の事でしょう。

荏原郡は八町五十八村といい、次の通りです。

三田町(現目黒区の三田村を指す)、×下高輪町、×上高輪町、今里村、白金村、白金台町、●南品川宿、南品川宿ノ内・利田新地(南品川利田新地を指す)、●北品川宿、二日五日市村、居木橋村、●戸越村、上蛇窪村、●下蛇窪村、大井村、桐ヶ谷村(現品川区)、●不入斗村、西大森村、北大森村、東大森村、●堤方村、●女塚村、糀谷村、萩中村、●八幡塚村、古市場村、池上村、道々橋村、●雪ヶ谷村、●中延村、●上目黒村、谷山村、小山村(こやま)、市ノ倉村、奥沢村、石川村、池沢村、深沢村、野沢村、上沼部村、下沼部村、嶺村、下丸子村、矢口村、●高畑村、●道塚村、原村、町屋村、雑色村、久ヶ原村上知(馬込領久ヶ原村のうち)、鵜ノ木村、上大崎村、下大崎村、松原村、赤堤村、経堂在家村、代田村、池尻村、三宿村、下北沢村、馬込領・桐ヶ谷村(現大田区。正式には桐ヶ谷村だが、現品川区の桐ヶ谷村と区別するため馬込領を冠する)、羽田村、羽田村ノ内・源太郎新田、●羽田猟師町、鈴木新田、羽田村之内・増田新田

明治4年、品川県は廃止され、東京府が。
品川県の内、今の東京都になっている地域が東京府に入るなど行政区域の整理が行われ、その後、この地域、幾多の変遷を経て、現在の品川区が誕生したのは、昭和22年とのことです。
前述の荏原郡の地名を見ると、現在の品川区の地名と重なる部分が多い所から、以前のこの地域が品川区の本体になっているのでしょう。詳しくは専門家に任せることにして…。

ただそういう地域であることを頭において品川宿へ…、いざ。

旧東海道品川宿を歩いてみましょう。京から下ってきて江戸へ入る最後の宿場であり、江戸から京へ上る最初の宿場が品川宿ですからさぞ賑わっていたことでしょう。

まずはじめに、八ツ山口から。入口に、 品川宿地内P1020844 (459x640) これより「南品川宿地内」と読めます。 

別の面には、「御代官築山茂左衛門支配所」とかかれています。江戸から御代官の支配する幕府領へ入ったという事。

代官支配地P1020843 (465x640)

昔風に言えば、東海道五十三次の最初の宿場、品川新宿(しんしゅく)は第一京浜から八ツ山橋を渡り、旧東海道を下ると、歩行新宿(かちしんしゅく、北品川1丁目)に入ります。
荏原神社図


すぐに、問答河岸にでます。問答河岸跡P1020840 (640x479) 河岸というくらいですからもともとは海がすぐそばまで迫っていました。

ところで誰と誰との問答?

この近くにある東海寺の住職をしていた沢庵和尚と徳川家光の問答で、家光が、問いかけます。

   家光  海近うして東海寺とはいかに      ※ 東(とお)を、遠(とお)と…
   沢庵  尚大君にして将軍と称し奉るがごとし  ※ 将(しょう)を、小(しょう)と…

と、沢庵、「よいしょ」をしたやりとり。和やかに受け答えをしたようです。

徒歩新宿に在った貸座敷(遊郭)に土蔵相模がありました。昭和32年に川島雄三監督がフランキー堺を得て完成させた「幕末太陽伝」がありますが、品川を舞台にした落語の「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「お見立て」などをない交ぜにしたものでかっての様子はこれでよくわかります。

現在は、土蔵相模跡P1020838 (640x479) コンビニの入っているビルになっています。 土蔵相模の跡P1020836 (640x469)  当時をしのばせるものは、この立て札だけですが… 土蔵相模の写真P1020837 (640x463)

江戸の吉原は、官許の色里ですがその賑わいとは別にそこに暮らす人たちは決して温かい暮らしではなかったのでしょう。「北国」とか「北州」などとも呼んでいたようです。品川は、官許ではない岡場所ですが江戸に近いということでわざわざこちらまで足を延ばす人たちもいたようで、ここを「南国」とか「南」などと。ここは暖かいということではなく、ただ単に、吉原から南という意だったのでしょう。
大きな貸座敷は、土蔵相模のほか二三あったようですが、飯盛り女のいる旅籠が多かったのでしょうか。その面影は全く残っておりません。

現在の街並みを見てみましょう。看板作りの商店 看板作りP1020835 (446x640) 下駄屋さんです 古民家・下駄屋P1020833 (640x480)  品川貸し座敷中・一心寺P1020832 (640x472)

一心寺に貸座敷中の奉納の石碑が立っています。なお、投げ込み寺と呼ばれるお寺がこの地にもありますが、ここではなく、「海蔵寺」がそれです。 ここらあたりから北品川宿と呼ばれるところです。

なげ込み寺ともいわれる海蔵寺の場所は、次に出てくる地図で分かります。

北品川宿に入る前に、北馬場参道から品川神社を訪ねます。参道・虚空蔵菩薩大祭の幡P1020811 (640x463) 
鳥居 品川神社P1020813 (640x480)  品川富士 富士を登るP1020817 (640x453)  頭にこぶのある狛犬 狛犬・頭にこぶありP1020822 (640x480) 拝殿  拝殿P1020823 (640x474)


品川神社御由緒

古く、後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して、品川大明神と称し、今は社名を品川神社と改めた。とあります。
天比理乃命(あめのひりのめのみこと=太玉命の后・祈願の神)
素戔嗚尊(すさのおのみこと・風水害疫病徐の神)
宇賀之売命(うがのめのみこと=豊受大神か宇迦之御魂神か・農産業の神)
大国主命(・福徳円満、清廉の神)恵比須神

北の天王社としても知られています。


関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、祈願成就の御礼として奉納したのが「天下一嘗(てんかひとなめ)の面」と「葵神輿」があります。江戸時代中期、「神輿に付けて廻れば苦しみから救われる」とのお告げがあったことから、例大祭では無病息災・幸福招来を祈願して面を神輿に付けて渡御します。

御手洗・天下一嘗面P1020827 (640x479)

神輿に様子を絵に描いたものがあります。赤く見えるものが「天下一嘗めの面」です。

品川神社に伝わる品川拍子というものがあるそうです。品川拍子の解説P1020824 (640x480)

大大神楽があります。
「品川神社の太々神楽は慶長5年、徳川家康が関が原の戦いに出陣の際、勝利を祈願して奉納したものと伝えられている。笛、大拍子、大太鼓による品川拍子と呼ばれる独特の拍子にのって、五穀豊饒、悪疫退散、無病息災などを祈願して舞われる。装束、面は徳川幕府寄贈のものだが、現在は新調したものを使っている。保存会が結成され、神楽師、間宮和麿師の指導のもと継承されているが、古風を残した神楽として、東京都の無形民俗文化財に指定されている。品川神社の大々神楽では現在12座継承されているが、春の大祭では矢天狐(やてんこ)の舞、青白幣帛(せいはくへいはく)の舞など6座が奉納される」とあります。


以前に間宮社中の演じた、青白幣帛の様子を写真撮ってありますので紹介しましょう。P1020547 (640x474)


P1020545 (640x478)


更に寄り道をします。

寄木神社にある狛犬は頭に凹みがあります。こぶのあった狛犬と合わせれば一対?そんなことは無いでしょうが…灯油を入れて使ったのだという説もあるようです。狛犬・頭の凹みは油入れ?P1020801 (640x480)
伊豆の長八のこて絵が奉納されているとのことですが外からはよく見えません。かすかに見えるものを写真で捉えました。 → 伊豆の長八の鏝絵が僅かに見えるP1020804 (640x479)


荏原神社とその前を流れるのは目黒川。目黒から流れてくる川です。荏原神社P1020792 (640x479)

冒頭の、品川県の話を思い出してください。荏原神社、えごまの産地だった所。

南の天王社といわれるところで確かめていませんが、黒色の天王の面を神輿に飾るとか。

御祭神は、
高オカミ神(たかおかみのかみ・漢字出ず・闇淤加美神)
豊受大神(とようけのおおかみ)
天照大神(あまてらすのおおかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
天手力男命(あめのたじからのをのみこと)
 
創建は和銅二年(709年)といわれている。古くは貴布禰(きぶね)大明神・天王社(「北の天王」とされる品川神社に対して、当社は「南の天王」とされる)と称し、品川宿の総鎮守とされる。明治天皇東京遷都の際に、当社を内侍所御行宮とされ四度の行幸をなされている。それを記念して、境内に「明治天皇と荏原神社・内侍所御奉安所史跡」という碑がある。現在の社殿は天保十四年(1843)の再建という。

荏原神社P1020796 (640x477)

荏原神社から先、目黒川を越えるとそこが南品川宿です。

IMG_0001 (640x427)


道路の様子を見てみましょう。看板作りの店舗 看板作りP1020789 (640x480)  畳屋さんもありました → 畳屋P1020787 (640x479)

看板作りは、正しくは、看板建築の事で説明が出ていましたので…
「看板建築」とは大震災の後に作られたモトモトは俄造り(直後のは)の建築で、前面が垂直かつ装飾の施された商店を言う。従来の重い瓦を銅葺きにすることによって、瓦の落下による被害を防ぎ、防火性を高め、瓦の重量の軽減によって建物の耐震性を向上させた。深い出し桁を廃することによって得られた店舗の前面の平面を看板として利用した。関東に特有の建築様式で終戦後昭和40年くらいまででがピークであったが、コンクリ高層建築の普及と店舗と住居の分離によって(看板建築は2階建てで、2階を住居とした)急速に廃れた。ということです。

極めてそっけない解説ですが、実際には、味わい深い外観を見かけます。戦災にあわなかったところを丹念に歩いてみれば、それらに出会うでしょう。

江戸六地蔵の一つ  江戸六地蔵P1020770 (640x463)  江戸六地蔵の解説P1020771 (640x471)  もともとは被っていたのでしょうが、いまは、笠をかぶっていないところがほかの所と違います。

この解説には、江東区の永代寺、消滅とありますが、これは、深川富岡八幡宮の別当寺の永代寺の事で、明治の廃仏毀釈で消滅しました。「門前仲町」というのは、この永代寺の門前ということです。また、永代橋は、この永代寺からきています。現在、成田山へ向かう参道に同じ名前の「永代寺」がありますが、歓喜天をまつるお寺で名のみ継承した別の御寺です。蛇足ですが、この成田山は、明治になってから深川別院としてここに置かれたものです。
  
品川寺山門P1020784 (640x479)


品川寺です。「ほんせんじ」と読みます。お寺は、「音読み」で読みます。

創 立…… 大同年間(806~810年)
開 山…… 弘法大師 空海
本 尊…… 観世音菩薩(水月観音・聖観音)
略縁起…… 海照山品川寺は、品川左京亮(しながわさきょうのすけ)伝の水月観音・聖観音両菩薩霊像を本尊とし奉り、後花園天皇長禄年間、太田道灌公の創建、後光明天皇承応年間、弘尊上人の中興によるところなり。世々「品川観音」と称せられる。
とあります。

普段は、立ち入りは×ですが、掃除をしていた住職から鐘楼へ上ること◎、となり、鐘楼の格天井と鐘を撮影できました。

鐘楼P1020781 (462x640)

このお寺あたりをジュネーブ通りというようですが、先の戦争ゆかりのものがめにつきます。品川寺のホームページにこの鐘が、ここに今ある経緯が知ることができます。

本堂に両界曼荼羅が荘厳されていますから真言宗の寺院だと分かります。本堂内部・両界曼荼羅がかかるP1020777 (640x469)


次は、千体荒神王霊場として知られる海運寺

海雲寺山門P1020752 (640x463)

荒神さんは、台所の守護神で、防火の神様です。

千躰荒神堂奉納扁額案内P1020753 (640x472) 扁額案内と火の用心P1020754 (640x471)  本堂正面の扁額P1020757 (640x480)

文久2年(1861)に奉納された扁額で、ガラスの上に彩色した鶏の絵です。

ガラス絵・鶏P1020756 (640x480)

また、ウスサマ明王を祀るお堂があります。中には…

烏瑟沙摩明王P1020764 (640x478)

ウスサマ明王、漢字で書くと、烏瑟沙摩明王。不浄を避けず、衆生を救う徳を有するという明王でお手洗いなどにまつられる。

神無月。八百万の神が会議のため出雲大社に集まり、その故、それ以外の所では、神が不在となるところから、陰暦の10月、今だと11月をそう呼びます。古くは、この月には結婚式を挙げないものだと言われて居りましたが、今はそんことにはお構いないようです。出雲では、この月を「神在月」と云っています。神様の会議の邪魔になるからと歌舞音曲は控えられるとか。

その神の留守を守るのがこの「荒神さん」。関西では、「恵比寿さん」だとか。

この海運寺には、思わぬ守り神が… いろいろと、そそるもの、がありまして…

品川宿・青物横丁 (640x471)  品川宿散策は、これにて。

附録
1979年、海運寺の荒神祭の様子について…

IMG (461x640)
IMG_0001 (307x640)

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。