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時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●野口英世記念館に見る母親シカの非凡さ!

何度も機会があったにもかかわらず、立ち寄る事の無かったところ。

猪苗代湖畔にある野口英世記念館。生家がそこに残り記念館になっています。

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博士が西アフリカで殉職した一九二八年(昭和三年)、東京の追悼会で、遺徳遺業の顕彰を生家の保存を目的として「野口英世博士記念会」が生まれました。
一九三八年(昭和十三)には財団法人としてスタートし、その翌年に「野口英世記念館」が開館しました。
一九五四年(昭和二九)に、福島県第一号の登録博物館となり現在にいたっています。

生家につて

一八七六年(明治九)十一月九日に生まれて、上京するまでの九年間を過ごしたこの家は、建てられて二百年近くたった今も当時の姿が保たれています。
博士がが火傷した囲炉裏や、上京するときに決意を刻んだ柱が残されています。

「記念館のあらましに」に、このように書いてあります。

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明治45年母親シカが英世に送った手紙です。部分をアップしたものがこれです。

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文中に、○ が頻発していますが、文章を読みやすくするための句読点の句点(○)です。

この句点をどうやって覚えたのでしょうか。もともと日本語では、このような習慣は少なくどこでどうやって区切るかが問題となっています。

べんけいがなぎなたをもって…ということを区切りを「弁慶がな、ぎなたをもって…」というように読むことを「ぎなた読み」などと云って、句読点を間違えて読む読み方の典型があり、その名前まであるくらいです。
明治に入り、このような間違いのないように、役所では、句読点を付けるようになってきたとはいえ、一般にはあまり目に触れることもなく、関心は極めて少なかった時代であったこの時期、どうやって覚えたのでしょう。注意深く見る、また、このことの意味を理解していたということなのではないでしょうか。この資質が息子が受け継いだということなのかもしれません。

生家の様子を眺めてみましょう。

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火傷をした囲炉裏が見えます  P1020986 (640x472)

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野口英世の伝記では、貧農であることが強調されていますが、実際にその規模を眺めてみると、同時代の農家の規模として決して貧農という家の造りには思えません。貧しかったのは、父親が酒飲みで働かなかったことが貧しさの原因であったと思われてきました。伝記作者は、この父親の行状を極力ぼかしてしまったのではないでしょうか。
世の中に出て、この二人の資質を受け継ぎ、英世は一生を終えたのでしょう。そんな気がしてきました。

※エッセイ 

松枯れて

 
徳川家康が浜松城で武田信玄の軍勢に包囲されたとき、勝ちに乗る武田方は、城中に一句を送りました。
   
   松枯れて竹たぐひなき旦哉
  ※まつかれてたけたくいなき旦哉

と、武田軍有利を高々と宣言しています。これを酒井忠次が機転を利かして、次のように
  
   松枯れで武田首無き旦哉

と、読み替えて、盛り返しの機運を作ったという事です。
 松は、松平で徳川方。竹は、武田側です。
 よくできた作り話と思います。

近松門左衛門は、物書きとして今にその名が知られていて、事実数々の名作を残しています。

門左衛門、なにかと分かりやすく物を書くことにに気を使っていますが、一向に無頓着に、句点などうるさいばかりだと言って憚らない数珠屋に、

ふたえにしてくびにかけるじゅず

を、注文します。

句点とは、文章の区切りに打つ「。」のことで、濁点は、室町時代には、つかわれていたということですから、

「くび」、などと、 「゛」を打っています。よく見かける古文書などには、そのいずれもつかわれていません

が、教養のある人物はそんなガサツなことはしないと言い、分かる人にはそれで充分。現在でも、色紙や短冊を染

筆するときは、濁点や半濁点、勿論、句読点なども打たないのが常識などとも云われており、文字以外の点や濁点

などは、汚れに見えて見た目でその方に軍配が上ります。

そのようなことですから数珠屋の言い分はもっともなこと。数珠屋は、これを、

 「二重(ふたえ)にして首にかける数珠」と読み、首にかけられる長い数珠を作りました。

実際に注文したのものは、「二重にし、手首に掛ける数珠」のことで、さぞ、数珠屋さん懲りたことでしょう。

 文明開化、明治になると、句読点・濁点などはっきりさせて読み違いの無いように、なったそうですが、乱れていたようで三十九年二月、文部省大臣官房調査課が「句読法(案)」を起草するなどして整理されました。
先日の会津への旅行で、猪苗代の野口記念館へ立ち寄りましたが、明治四十五年現存唯一という母、シカが、息子英世に送った手紙が展覧されていました。

おまイの○しせにわ○たまげました○わたくしもよろこんでをりまする○なかたのかんのんさまに○よこもりを○いたしました○ー以下略。※「しせ」は「出世」

大きな○が書かれていますがこれは、句点(。)です。「幼い頃に覚えた文字を思いだし」云々と説明がついてお

りましたが、この句点、何を見て覚えたのでしょうか。並々ならぬ注意力と理解力、努力のあとが感じられて、こ

の親にしてこの息子ありという気がしてきました。

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