時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●あと28日、歌舞伎座に櫓が揚がった!

こけら落としまで1ケ月を切った歌舞伎座に「やぐら(櫓)」が揚がりました。

3月5日の新聞が…

2013・3・5歌舞伎座櫓揚 (226x640)

その5日の様子です。

P1030778 (640x477)

江戸時代、幕府公認のしるしとして芝居小屋の正面に揚げられていたもので「大歌舞伎」というのは、これを挙げている芝居に限っての称でした。

櫓は、幅33メートル、高さ27メートルで5本の槍を横たえ、二つの梵天が組まれています。正面に「鳳凰丸」の座紋と左右には「木挽町 きゃうげんづくし」の文字を染め抜いた三方の幕で囲われています。
こけら落としの興行がこの後続けて、打たれますがその期間中、揚げられているとのこと。

今まではどうであった?

幕府公認のしるしは、このやぐらと「定式幕」。
歌舞伎と云うとすぐ目に浮かぶ萌黄色と黒と柿色の縦の三本縞のあの幕です。

公認の芝居小屋は、森田座(守田座)、市村座、中村座の三座で、歌舞伎座は、森田座(守田座)の流れを汲みますから森田座の幕。萌黄色・黒・柿色です。

国立劇場は、市村座の幕の色の組み合わせを使っており、黒を挟んで「萌黄色」と「柿色色」が入れ替わっています。

うっかり見ていると皆同じように見えます。

中村座は、これらとは全く別物のように見えますが、柿色、黒、白です。先に亡くなった中村勘三郎の襲名興行の時歌舞伎座で使われていた記憶があります。もとは、中村座の座主だったのですから中村座の形を見せてくれたのでしょう。

定式幕は、常時使われていますが、櫓は、歌舞伎座では、毎年、顔見世興行の時に揚げていました。歌舞伎座自体がその役割を示していたからでしょう。

今度の建て替えに当たって「大歌舞伎」の本興行が新橋演舞場になりました。この時から新橋演舞場に櫓が毎月揚げられています。櫓の正面に新橋演舞場の座紋「雪月花」、左右に「木挽町、きゃうげんづくし 新橋演舞場」と、文字が染められています。

3月5日の新橋演舞場の劇場前の様子です。


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芝居小屋の櫓を見ていると大相撲の櫓を思い出します。写真で見てみましょう。

出し幣と梵天P1030789 (640x468)

「梵天」と相撲櫓の「出し幣(だしっぺ)」。まったく同じと云っていいですね。呼び名は違いますが、神の依代(よりしろ)であることには違いがありません。

江戸時代の芝居小屋は、明け六つから暮六つまでのの興行で、明け六つ前に、幕内で「三番叟」が毎日舞ってから幕を開けたということを聞きますが、大相撲では、初日前日、土俵祭を開き土俵中央に「鎮め物」をします。土俵祭のことは、別の所で採り上げていますが、芸能というもののもつ性格というものが窺い知れます。

3月5日の歌舞伎座全景です。

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新開場まで、あと28日。

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開場間もない日の、第一部のチケットを手に入れました。

「杮葺落四月大歌舞伎」のチラシ

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新開場を待たずに中村富十郎、中村芝翫、中村勘三郎、市川團十郎などが逝かれてしまった人たちをそのびつつ歌舞伎座新開場の待たれる日々です。

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