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時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●地下霊場の玉川大師世田谷区瀬田地区散歩

散歩は二子玉川駅からはじまります。

この地域は、小田原北条氏時代は世田谷吉良氏の所領でしたが、徳川氏江戸入城後は幕府の直轄地(天領)となり、寛永10年(1633)井伊直孝の領地となつて明治維新に及びました。

その後、明治22年に付近の7つの村と合併して玉川村の大字となり、昭和7年の世田谷区成立の際に玉川町と分離、玉川瀬田町となりました。

その後町域変更を重ね、昭和46年に住居表示により各々瀬田、玉川となりました。

この地区で一番注目されているところが玉川大師。

玉川大師は、正式には真言宗智山派寺院の玉真院で、費泉山と号し、玉川大師と通称されています。当地に開山龍海大和尚、開基竜海阿閣梨として大正14年大師堂を建立。そして昭和9年に地下佛殿を建立。玉川八十人ヶ所霊場5番、関東三十三観音霊場10番で、平成16年までは関東八十人ヶ所霊場68番とも。

地下佛殿は全く真の闇の中、これをたどってお参りします。撮影は禁止です。

玉川大師p1050323 (640x472)

弘法大師像P1050326 (471x640)


この辺りは寺町のようです。すぐそばに玉川寺身延山関東別院があります。

玉川寺・身延山関東別院P1050332 (640x460)

昭和7年(1932年)日蓮宗総本山身延山83世一乗院日謙上人の開山、関東一円に布教をひろめるために創建された。
昭和初期には新たな寺社の建造は許されなかつたため、日暮里の廃寺であった妙隆寺をこの地に移転し、身延山関東別院として開山し、昭和15年(1940年)ごろに現在名称の玉川寺と改めた。

玉川寺P1050333 (640x479)  玉川寺庭石と本堂P1050337 (447x640)

すぐ隣に、瀬田玉川神社があります。

瀬田玉川神社拝殿アップP1050341 (640x473)

(御祭神):
1.日本武尊(やまとたけるのみこと)
2.大己貴命(おおあなむちのみこと)=大国主の命
3.少彦名命(すくなひこなのみこと)
(神社縁起〉
永禄年間(1558~ 1570年)の創建と伝えられる古社。元禄8年(1695年)瀬田城の城主の長崎氏が拝殿を造営したと伝えられる。明治41年(1908年)に、それまでの御嶽神社という名称から現在名に改称した。

境内にはかつて樹齢約700年といわれる赤松があつたが、昭和41年(1966年)の台風で倒れ、現在の社殿はそれを契機に昭和43年(1968年)に再建された。

少し行くと、慈眼寺があります。

徳治元年(1306年)、法印定音が小さな堂を建立して開創。はじめは修験所であつたが、天文2年(1533年)、城主長崎四郎左衛門が国分寺崖線の上の現在地に堂宇を移し、大日如来を本尊として安置して慈眼寺と称した。以後、長崎家の祈願所であり菩提寺でもあつた。また、神仏分離が行われる以前は南隣の御嶽神社(現在の瀬田玉川神社)の別当寺であった。
現在の本堂は昭和50年(1975年)に再建されたもの。近年建て直された真新しい仁王門がある。

慈眼寺P1050345 (640x470)
仁王門

慈眼寺本堂P1050346 (640x474)
本堂

門前に笠付庚申塔がある。

慈眼寺側の笠付庚申塔P1050347 (640x468)

瘡守稲荷(かさもりいなり)

瘡守稲荷社P1050354 (640x480)

世田谷区立の世田農業公園までは少し道のりがあります。

瀬田農業公園P1050360 (640x471)

ここがフラワーランド(瀬田農業公園)
所在地:世田谷区瀬田5‐30-103-3707-7881 803‐ 3707‐ 7881
面積:5,300平方メートル
管理棟フラワーランド(正式名称:区立瀬田農業公園)は、世田谷の農業の中で大きな役割を果たしてきた花井園芸(観賞用植物の生産)を中心に、「花づくりのできる公園」として昭和61年5月に開園した、区民参加によるエコロジカルな公園づくり、環境に配慮した循環型園芸の普及を目指している公園です。
施設内容:園内花壇管理棟(トイレ有)、芝生広場、バラのアーチ、藤棚広場、ハーブガーデン、
観賞花壇、創作花壇、水車と山野草の庭があります。

ヤマボーシの実P1050363 (640x464) ←ヤマボーシが実を付けていました   アヒル2羽P1050368 (640x477)

            作り山と横向きアヒルP1050370 (457x640)


瀬田4丁目広場には、旧小坂邸があります。

旧小坂住宅正面P1050372 (640x474)

岡本から瀬田、さらに上野毛に続く地域は、かつて華族や政財界人たちにより、週末を過ごすための別邸が数多く建てられ、世田谷の近代建築の中でも独特な景観を造り上げていましたが、残念ながら現存するのは、瀬田四丁目広場の旧小坂家住宅のみとなってしまいました。
平成11年H月に世田谷区の有形文化財に指定され、「瀬田四丁目広場」として公開しています。旧小坂家住宅は、信濃銀行取締役、信濃毎日新聞社長で、後に貴族院議員、枢密顧間官を務めた小坂順造(1881年~ 1960年)が、昭和12年に別邸として建てた屋敷で、戦時中は 日本画家の横山大観も空襲を避けるため、樹林地の中にあつた茶室に一時期移り住んでいました。さて、この地域に小坂氏だけの邸宅があるわけでなく、この近辺には多くの政財界の邸宅があり
ました。
。水戸徳川13代当主の徳川囲順氏
。清水建設の社長清水揚之助氏
。日本汽船や日立製作所創業者の久原房之介氏
。三菱財閥の岩崎家
。大蔵大臣の高橋是清氏
。日産財閥の創設者の鮎川義介氏
上記が代表的なものです。

小坂邸の建物配置
        旧小坂邸の建物配置 (459x640)

玄関 ➔ 玄関天井P1050389 (640x479)  玄関P1050388 (640x477)

桐の欄間 ➔桐の文欄間P1050374 (640x473) 天井板 ➔ 天井板P1050375 (640x472) 暖炉 ➔ 暖炉P1050380 (465x640)
 シャンデリア ➔ 寝室シャンデリアP1050381 (640x471)  茶の間の入側 ➔ 茶の間・今の入り側P1050384 (640x480)

庭園も見所が多いということでしたが、養生中ということで立ち入り禁止でした。再訪してみたいところです。

ここから二子玉川駅までバスがあり駅まで戻れます。駅の手前で途中下車して焼き肉&ワインの「すみれ家」で少し遅い昼食。お開きです。

解説文の大部分は、当日の案内者の作成した資料を使っています。明らかな誤りと思われるものは訂正しております。

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