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時の流れの落し物

日常生活の中で生れたもので、今は忘れられているもの、そんなものを見つけていきたい。

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●復元東京駅と、駅に刻まれた歴史の痕跡を訪ねる

東京駅は、これまで、皇居の近くに鉄道が付設されておらず、各方面別に分かれていたターミナル駅のうち新橋と上野駅間の中間を結んで中央停車場を設置する構想が起こり、この「中央停車場」が東京駅と名付けられ、1914年(大正3年)12月20日に開業。

その後、中央本線の乗り入れや山手線の環状運転の開始などを経て利用客は急速に増加していきました。乗り入れる線路が増え、昭和初期には、拡張工事が行われました。

しかし第二次世界大戦によりすべては完成せず、戦争末期には空襲を受けて丸の内駅舎を焼失しました。大戦後、丸の内駅舎の復旧が行われるとともに、中止されていた増設工事が再開。

1964年(昭和39年)10月1日には東海道新幹線が開通し、新幹線のターミナルともなり、 1990年(平成3年)6月20日には東北新幹線が開通し、東北・上越方面へのターミナルともなりました。

関東大震災では、被害は最少で済みましたが、この度の戦災の被害は大きく、本来、3階建てで、南北には、ドームがある造りでしたが、焼けてしまった3階にすることはあきらめ、2階建てとし、ドームのない姿のままでで応急復旧していた状況でした。

時至り、元の本来の姿に!との声が起こり、丸の内駅舎の復元工事がはじまり、2012年(平成24年)10月、復原工事が完成しました。


大正3年の東京駅開業時の乗降人数は一日平均5423人。
この規模の駅舎は、思えば分不相応の建物だったといえましょう。しかし、北海道から九州まで線路は繋がる体制になり、現在の需要にも応じられる駅舎として新しく生まれ変わりました。
そして、2013年(平成25年)の記録ですが、一日平[利用客数 は、415,908人となりました。

百年前の姿に戻った東京駅は、平成26年(2014)10月、東京駅開業100周年記念行事が行われ、大きな話題を振りまいております。

そんなことから、改めて新しくなった東京駅を眺めてみようと思います。

その前に、開業当時の姿を確認してみましょう。

IMG_20150205_0001_NEW (640x196)

東京ステーションギャラリーで開催された「東京駅100年の記憶」展のチラシから拝借しました。

それでは、まず、着工前と着工後の様子

着工前と復元後の図P1050797 (640x472)

二階建で、ドーム造りではなかったものが、もとの三階建てになり、元の南北にドームのある造りに変わっていることが分かります。

復元に当たっての考え方は、「国指定の重要文化材である丸の内駅舎を未来へ継承すべき貴重な歴史的建造物として、残存している建物を可能な限り保存するとともに、創建当時の姿に復原した」ということです。

工事は、鹿島建設が担当し、その記録は、同社のホームページ(東京駅丸の内駅舎保存・復原工事)で見ることが出来ます。

関東大震災時、被害を防いでいたのは、基礎に打ち込まれた「松の杭」。駅舎を100年支えてきた大量の松杭が出てきました。さらなる大規模災害備えて免震装置備えるなどの大工事となりました。

復原工事の目玉は、南北にあるドーム部でしょう。鑑賞していきましょう。

行幸通りから見た姿です。

行幸通りから中央部を見P1050490 (640x479)

外観鑑賞の三つのポイント

その1.丸ビル5Fテラスから
中央部、皇室専用口

丸ビル5Fテラスから中央部を見るP1050488 (640x472)

同、南ドーム 開業当時は、乗車専用口でした。降車専用口が北口ドームで、壁面に、逆さのUの字に見えるところが荷物の搬出口。その一つが、後にステーションホテルの入口に転用されているそうです。この写真の中央口の左側、2本の旗が立っていますがその左の旗の近くにそれが見えます。

丸ビル5Fテラスから南ドームを見るP1050489 (640x474)

その2・新丸ビル7Fテラスから
北ドーム 前述のように開業時は、降車専用口でした。 

新丸ビル7Fテラスから北ドームを見るP1050491 (640x479)

北ドームの塔

新丸ビル7Fテラスから北ドーム塔を見るP1050493 (640x472)

中央部駅前 この分部分の地下に総武線(横須賀線乗り入れ)地下ホームがあります。後述しますが、「地下水上昇問題」がこの地下では起こっています。

新丸ビル7Fテラスから駅前全体を見るP1050496 (640x470)

JPタワーを望む(屋上庭園に人が見える)。中央郵便局の建物の一部を遺す形に設計変更をしたことで話題を呼んだビルです。

新丸ビル7FからJPビルを見るP1050494 (480x640)

その3.JPタワー、屋上庭園(6F)から南ドームを見る

JPタワー屋上庭園から南ドームを見るP1050497 (640x459)

南側側面

JPタワー屋上庭園から南側側面を見降ろすP1050500 (640x459)

新幹線ホームが見える

JPタワー屋上庭園から南側側面と新幹線ホームを見るP1050501 (640x472)

JPタワー屋上庭園の様子

JPタワー屋上庭園P1050502 (640x468)

保存された旧中央郵便局とJPタワーの連結部分(4F)。旧局長室へ向う

JPタワー旧建物の中央郵便局長シテ室へP1050505 (640x479)

旧中央郵便局局長室(4F)から

4F中央郵便局長室から見る南ドームP1050507 (640x478)

旧局長室に飾られたいる中央郵便局の新築現場の写真。昭和4年。その向こうに東京駅舎が見える

昭和4年中央郵便局の新築工事写真P1050509 (640x469)


地上に降りて丸の内駅舎内に這入ります。
  
南ドームに這入り見上げると…№1.クレマチスレリーフ、2.鷲レリーフ、3.秀吉の兜をモチーフにしたキーストン、4..剣と鏡のレリーフ、5.干支のレリーフ、6.鳳凰、動輪と矢束のレリーフ、7..ドーム内2Fテラスが見える。

№入り・南ドームを仰ぎ見る・クレマチスレリーフ、鷲レリーフ、秀吉の兜をモチーフにしtキーストン、干支のレリーフ、剣と鏡のレリーフ、鳳凰のレリーフP1050510 (640x449) - コピー


鳳凰、動輪と矢束のレリーフ

鳳凰型のレリーフP1050512 (640x465)


ドーム2階に上がってみます。ステーションホテルの入口がありますがテラスへ別の角度からドーム内を見ます

2階テラスから見るドーム内P1050511 (640x479)

よく見ると侵入してくる鳩除けの細工が見えます。
柱には、復元工事完成の年号が(ADMMⅫ)という表記で入っています。これは、西暦2012年完成の意です。
ここに、虎屋の売店があり、喫茶営業をしている部分、外から戦災で焼け爛れたレンガがむき出しになっているのが見えます。
焼け爛れた、焼失レンガは、ステーションギャラリーに入場しますと間近に見ることが出来ます。

2階虎屋の喫茶店内に見る戦災で焼けたレンガP1050513 (640x463)


悲しい歴史の記憶の痕跡が遺っています。

ドーム、1階に戻り、南口改札口近くに、明治の宰相・原敬暗殺現場があります。

原敬暗殺場所のポイントの○と解説板P1050808 (468x640)

Bの赤線で示す場所が平民宰相として知られる、原敬首相の刺殺された現場。
赤線のAにその記録が書かれているプレートです。

南ドーム内壁にある原首相遭難現場の碑・この前に○ありP1050810 (640x473)

悲しい事件を記憶する現場がもう一つあります。浜口雄幸首相が右翼に狙撃されそれがもとで「没」と年表にあります。その現場は、駅の中、中央通路に「仲間の像」がありますが、その近くです。

浜口雄幸首相の暗殺現場・中央通路P1050814 (466x640)

遭難の碑が近くの柱に貼られています。

浜口首相遭難現場の碑・中央通路柱・この前にタイルのマークありP1050813 (640x480)


外へ出て中央部、皇室専用口へ

皇室専用の中央部入口P1050514 (640x471)

皇室専用口には、テラスがついています。三つ窓があるところがそうです。

中央部入口の専用テラス部P1050515 (640x471)

建物の細部を見てみましょう。

屋根は天然スレートと銅板で葺かれているそうです。
建具は、もとは木製ですがアルミサッシとアルミ製にて復原。
柱は、擬石で、これは、花崗岩粉に石灰とセメントを調合したものを塗り、その後、清水にて洗いだすという手の込んだもの。

建物表面のレンガは、化粧レンガできわめて平滑緻密で角が鋭利。この創建当時と同様な表面の肌合いと色を再現し、
目地は、覆輪目地という手のかかるもの。又その組み方も特徴あるものになっているそうで、この方法も復原。この方法で三階部分を仕上げているということです。

眼の届くところにある、100年経過した化粧レンガですが、覆輪目地もはっきり見えます。

現状の覆輪目地P1050804 (640x471)

このように手間暇のかかる大工事で、550億円かかったとか?金額は、確認していませんので正確ではないところですが、この費用如何して捻出したのでしょうか。

魔法の手口、空中権を売ってすべて賄ったということです。聞き慣れない言葉ですが、この地域での建物容積を売買してそれで得られる費用に充てたということのようです。東京駅としては、もうこれ以上の建物の容積を使わないので、使わなかった余りの容積率の分をもっと、決められ以上の建物の容積が欲しい所へ売り、その収入を工事費用にあてたということです。

どこが買ったのでしょうか?

丸ビルと新丸ビルP1050807 (640x456)

左側が丸ビル(地上37階地下4階)、右側が新丸ビル(地上38階地下4階)です。
どちらのビルも従来のビルの高さが分かるような設計になっていて、そこから上は少し細めに見える構造になっています。
丸ビルの容積率は分かりませんでしたが、新丸ビルは、容積率1300%から1760%の緩和されているということです。
JPタワーは、JPとJRと三菱地所の三者で建設したもので、旧中央郵便局の一部を遺した形であることは外観からもよく分かります。
KITTEという部分がJPの部分。このJPタワーも容積率を買い、1300%を1520%の容積率で建設されています。


今度は、ホームに上がり、古い痕跡を見てみましょう。

ホームに上がり5,6番線ホームと3,4番線ホームの間にある「零キロポスト」。中央線、新幹線のものもそのホームから見ることが出来ます。駅長室内からみると一直線上に在るそうです。

5・6番線ホームから見えるゼロキロP1050525 (465x640)

5、6番線品川寄りに開業時からそのまま残る支柱があります。東京駅開業は、大正3年ですが、工事はその前、明治の年号が入っています。

5・6番線ホーム品川寄りにある開業時からの支柱が残るP1050522 (454x640)


ホームから中央通路へ出ます。浜口雄幸の遭難現場のことは、前述すみです。

この通路を1、2番線と標識の方面へ行くと…

総武線地下通路へのエレベーター乗り場付近P1050816 (640x458)

このポストに投函すると東京駅の風景印が押されて郵便が届くようです。

この脇のエレベーターで下ると総武線(横須賀線乗り入れ)に出ます。地下5階に当たるそうです。

ホームの床面、ところどころ違うタイルが貼られています。

総武線地下ホームにある地下水対応を示すタイルP1050817 (640x480)

ウイキペデア・東京駅を見ると「地下水上昇問題」というところで次のように記されています。全文を拝借します。

地下水上昇問題[編集]

当駅は、もともと海に近いこともあり、地下水位が相対的に高く、地下水上昇によるホームの浮上問題にさらされている。特に地下総武線ホームは、丸の内側ロータリー直下にあり、上に建物などの構造物がない(地下水浮力による地下駅部分の浮き上がりを押さえ付けるおもりがない)という構造上の条件から、特に浮上の影響が顕著である。かつての相次ぐ地盤沈下により地下水の汲み上げが条例により禁止されており、このことも地下水位上昇の理由となっている。地下総武ホームではホームが地下5階なのに対し、地下水は地下3階付近まで達している。1999年9月には、浮上防止策として、ホーム階に鉄製おもりを置いたり、アンカーを打ち込む工事が行われた。その後、当駅から品川区の立会川まで導水管が敷設されている。湧出地下水をそのまま下水に流すと下水道料金が課金されるため、支払料金を軽減したいJR東日本と、典型的都市型中小河川で通常は水量が少なく悪臭などを発生する立会川の問題を解決したい東京都の思惑が一致した。東京駅から立会川上流部までの導水管建設費用をJRが負担する代わりに、湧出地下水を立会川に放水することで下水道料金負担がなくなり、結果として水量の増加と悪臭の発生防止が図れるという仕組みである。同様に、上野駅新幹線地下ホームの湧出地下水が、不忍池への導水管により放流されている。

文中にある「アンカーを打ちこむ工事」のために開けられたの痕跡です。


京葉線改札口付近に残され保存されているRTO壁画。ほとんど顧みられることの少ないところです。

RTO壁画P1050516 (640x480)

RTO壁画P1050520 (640x454)  RTO壁画P1050519 (640x480)  RTO壁画P1050518 (640x480)  RTO壁画P1050517 (640x468)

このRTOレリーフについて、Webに次のような記述が見つかりました。

「戦後間もない昭和22(1947)年に、東京駅赤レンガ駅舎内に新設された、進駐軍鉄道司令部(Railway Transportation Office)の待合室の壁に設置されたもの。なお戦時中、東京駅は空襲で駅舎の大半を焼失。この頃は大規模な復旧工事の真っ最中だった。
 進駐軍の撤退後、この待合室は国鉄の事務所として使われていたそうだが、時間の経過とともにレリーフの上には新しい壁が設置され、忘れられた存在になっていたという。だが今回の東京駅赤レンガ駅舎の復元工事に際し、このレリーフを発見。そして2012年秋より京葉線改札外のコンコースに展示される事になったのである。」

戦後すぐ、多分その頃の、若い芸術家たちの心意気が感じられる作品群ですね。

開業百年の痕跡を訪ねてみました。

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